質量とエネルギーの等価性について

 朝の身支度なんて半分寝ててもできるもので――ぼんやり眼でリナはパジャマを脱ぎ、いつもの服を手に取ってもそもそと身に着けた。
 いつもの長さ、いつもの結び目、いつもの……でも、微かな違和感。
「んー、胸が苦しいわね」
 布を引っ張りぐっと胸元を調整したところで、リナは突然目を見開いた。
 今、自分は何と言った? 『胸が苦しい』?
 ――胸? 胸!?
「……ふ、ふへっ……ふへへへへ」
 こんな『胸が苦しい』だなんて言葉、自分には縁遠く一生口にすることはないものだと思っていた。言い回しの慣用句としても口にするのがためらわれていたほどなのだ。だがしかし、実際に胸のあたりは苦しく、服が窮屈に感じられる。
 ありがとう成長期。さんざん焦らしてくれたが遅れたにしても来てもらうぶんには大歓迎。
 リナは部屋で一人、薄気味悪く笑い続けた。

「ガウリイ♪」
 今にも踊り出しそうな足取りでリナは隣の部屋に訪れた。
 ガウリイは本らしき物体を手にしている。まさか読書なんてものをしていたのだろうか。珍しい。ベッドに腰かけていたガウリイは視線を上げ、満面の笑みを浮かべるリナにキョトンとした。
「どうした。ご機嫌だな」
「んふふ~! あのね、最近……あたし、ちょっと変わってるなって思わない?」
「お前さんが変わってるのは元からだろ?」
「そーゆー『変わってる』じゃなくてっ! 以前と比較して変わったところがあるんじゃないかって話よ! ほら! なんか前と少し違う感じ! 気付かない?」
 リナはガウリイに詰め寄り、わざとらしく胸を張った。普通の人なら話題を控えるところだが、このセクハラ男なら要点をビシッと口にしてくれそうな気がする。
「はあ? なにがだ? ……あ、もしかして」
「もしかして!?」
「服の色が違うとか?」
「変わってないわよ!」
「うーん。髪の分け目を変えた」
「いつもとおなじだし!」
「ええ~……じゃあ、一重瞼が二重瞼に変わったとか」
「あたしは元から二重よ! あんたあたしのこと何も見てないのね!?」
「いや急に言われてもわかるわけねーだろ」
「ああもう! 期待したあたしがバカだったわ。あのねっ! 胸が! ちょっと大きくなったの!」
「え……オレの?」
「あたしのよっ!!」
「はあああ!?」
 まじまじと胸に注目されて照れるが。リナはあえてツンと顎を上げ、両手は腰に当てて胸を張った。
「……どこが?」
 疑念しかない返答にカチンとくる。
「まあ、見た目じゃちょーっと気付きにくいかもしれないけど! 服がキツくなったんだもん!」
「服……胸?」
 眉間に皺を寄せたガウリイがさっと手を伸ばし、リナの胸の下――アンダーの部分を両手で囲うようにがっしり掴む。
「ぎゃっ!?」
「キツいってのはこの部分のことか?」
 言いながらぐにぐに指を動かしている。
「あのなあリナ、ここは胸じゃねーぞ」
 スリッパでその頭をどつこうとしていたリナはハッとした。
 服を着たときの圧迫感、息苦しさ、緩めたら楽になるところ――それは、もしかしてガウリイの言うとおり――
「お前さん、最近仕事もないのに食い過ぎなんだよ」
「うっ」
「ほら見てみろよ。この本にも書いてある。えーっと……『リナ=インバースの朝食は体格から推測される基礎エネルギー消費量をこえて二千かろりー以上を摂取しており』……かろりーってなんだ?」
「知らないわよ! つーかなによその薄い本は!?」
「通りすがりの人からもらった」
「は!?」
 リナはガウリイから本を奪い取る。その表紙には『リナ=インバースの食生活についての記録と研究』というタイトルがあった。
「へ!? だっ誰がこんな本を!?」
 裏表紙を見、続けて奥付けを確認する。
 横から覗き込むガウリイが読み上げた。
「『著者の身の安全のためプライバシー情報は非公開』だとよ」
「あたしのプライバシーはどうなってんのよ!? つかあちこちで食事した内容が勝手に調べられてるし! ここも、ここもよ!?」
「いつの間に……すげーな。お、ほら。ここんとこ読んでみろよ」
「え? 『食事と魔力回復の関係性についての考察』」
「な、お前さん最近仕事してないけどいつものペースで食べてるだろ? だから最近太っちまったんじゃないのか?」
 はっきり『太った』と明言されてリナはよろめき、壁に手をつく。
 そうだ、言われてみれば、この苦しさは胸というよりも胸の下部分にあるベルトからきているようだった。
 さようなら成長期。いやそもそも成長期は来ていなかった。幻だったのだ。
「……ぶっ潰す……」
「リナ?」
「手始めにこの辺りの盗賊を……探してぶっ潰すわ……ぜんぶ……」
 目をらんらんと輝かせながら薄く笑うリナにガウリイは思わず後ずさった。リナは本気だ。
「……リナ。あの。普通に運動して体を絞るって方法もあるんだぞ?」
「あっそう。でも盗賊をしばいてお宝もいただくってのが一挙両得よね!」
 ガウリイが息を吐く。
 どうやらリナの説得は諦めたようで、装備と武具の確認をしだした。
「んっふっふ……首を洗って待ってなさいよ!!」
 食事の量を減らすという選択肢ははなから存在しない。
 そうして、この一帯から盗賊という盗賊が姿を消すことになったのだった――。

■ 終 ■



よりみちズさんのご本を読んで感想書こうとしたらなんか妄想してしまったSS…
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