犬も食わない

「――だから話を聞けって!」
 リナは肩に触れる手を払い落した。
「今更なにを言い訳しようっての?」
 その視線は冷え冷えとして、射殺すかのように鋭い。
「誤解だ」
「あんなことして誤解なんだ? へえ~」
 それきりぷいっと顔をそらし、無関心を決め込んで屋台の食べ物を物色しながらすたすたと歩き続けた。とことんガウリイを無視するつもりらしい。背後では言い訳が続く。
「……オレはなあ、お前さんと結婚したんだぞ。浮気するわけないだろ!」
「ふ~ん、結婚してなかったら浮気してもいいんだ?」
「そういう話じゃないだろ」
「どういう話だっけ?『あたしがいない隙にガウリイと女の人が抱き合ってたのは浮気にあたるかどうか』ってことだったかしら?」
 二の腕を掴まれ、引き留められた。
「だから、誤解だと何度も……」
「どういう流れであんな状況になるのよ! だいたい、あんたは――」
 ガウリイをぎりっと睨み、さらに言い重ねようとするリナの肩がつんつんと背後からつつかれる。
「なによっこっちは取り込み中なの!」
 リナが振り返ると、屋台のおじさんがまあまあとリナを宥めてきた。店の正面で痴話喧嘩をされて迷惑だったろう。ガウリイが「場所を変えよう」と言ったそのとき、屋台のおじさんはリナの肩をつついた指で、すぐそこの広場をぴっと指し示した。
「喧嘩するならあのやぐらでやったらどうだい?」
「「……はい?」」
 二人の戸惑いの声が重なった。
 そこには集会所らしき建物があり、その前方には広々とした広場。なにかの祭りに使ったのかやぐらステージが建てられている。
「どうしてそこで喧嘩を披露しなきゃなんないのよ!」
「ここでやりあっても決着がつかなさそうだったから。お互い言い分があるんだろ? あそこで、みんなの前で白黒つければいいじゃないか。やぐらは先日の祭りで使って、あとは片付けるだけだから自由に使えるよ」
「ふむ……」
 なるほど、と顎に手をやってリナが思案する。
 屋台のおやじさんは小さな声で付け加えた。
「あと、みんな娯楽に飢えてるし」

 ***

『青っコ~ナ~! ガウリイっガブリエフぅ~!』
「よっ色男ー!」
「浮気は男の甲斐性ー!」
「だから浮気じゃないって言ってるだろ!!」
 やんややんやと囃し立てるギャラリーに、やぐらステージの上からガウリイが叫ぶ。だが「興ざめするようなこと言うんじゃねえ」「もっと正々堂々浮気しろ」とヤジが過熱するだけだった。
『赤っコ~ナ~! リ~ナ~ガブリエフぅ~!』
「ガツンと言ってやってー!」
「どっちが上かわからせてやるのよー!」
「なんなのよこの異様な盛り上がりは……あとあなた誰よ?」
 言って、リナは二人の間に立つ見知らぬ男をねめつけた。
「あ、わたしはただの進行役なのでお気になさらず……ジャッジするのは観客の皆さまです!」
 やぐらステージをぐるっと囲む人々が拳をかかげタオルを振り回し、「わー!」と歓声を上げた。
 ここぞとばかりに露店が並び、どこから運んできたのか酒樽がいくつも設置されている。胴元らしき男が賭けの取りまとめをしているのも見えた。
「なんなんだ、この盛り上がり」
「まったくもう……」
「まあまあ。この機会に日頃の積もり積もった不満をぶつけて、互いにスッキリしたらいいじゃないですか! 言いたいことはたくさんあるでしょう?」
 不機嫌なリナとガウリイの視線が火花を散らすかのようにかち合った。
「――ファイッ!!」
「……じゃあ存分に言い訳してみるといいわ。あたし、はっきりとこの目で見たんだから。きれーなおねーさんとあんたががっつり抱き合ってるところ」
「だからあれは嵌められたんだと……」
「ほう。嵌められた。あんたがハメたんじゃなくて?」
「そういう下品な言い方はよくないぞ!?」
「んなの知ったこっちゃないわよ! あたしが酒場から出てったのに、ガウリイは宿に戻ってくるの遅かったし!」
「あれはお前さんがオレを置いてくから、宿屋の場所がわからなくなってさんざん街中を歩き回ってたんだよっ」
 言うや否や、ガウリイが飛びすさる。
 はて、と首を傾げた司会の正面で突然に風が弾け、司会の男は場外に吹っ飛んでいった。
「あんなに目立つ場所にある宿屋がわからなくなったですって!? うそばっかり!」
「おいっ呪文はよせっ」
 リナはガウリイの制止に耳を貸さず――
「『破砕鞭』!」
 リナの手のひらから生まれた光りが帯となってガウリイを襲う。だが、寸前でガウリイの代わりに板が弾け飛んだ。咄嗟に切り裂いた足元の板を跳ね上げて、己の身を守ったのだ。
「今のはマジで危なかったぞ!?」
「あんたなら避けるの簡単でしょ! 女をひっかけるのも簡単そうだもんね!」
「だからどうしてそういう話になる!? オレはあの女の名前すら憶えてないんだぞ!」
「記憶力がないのは前からでしょ『炎の矢』!」
 ガウリイに降り注ぐ赤い矢。しかし、煙の収まったあとのその場所には――誰もいなかった。
「どこ!? ……さては」
 リナはぼこぼこになっている床板を睨んだ。ガウリイは、さきほど板をはがした部分からやぐらステージの床下に潜り込んで逃げたに違いない。
「甘いわね……『炸弾陣』!」
 ぼぼっと轟音とともに下から吹き上げる土が全部の床を跳ね上げた。リナはやぐらステージの骨組みにすたっと降り立ち、ガウリイの姿を探す。だが――リナが彼の姿を目視する前に、リナの前に飛び上がってきたガウリイに腕を掴まれる。
「なっ!? 離してっ」
「リナ! 聞けって!」
 揉み合う二人の足元は不安定だ。ガウリイは落下しないよう骨組みを掴み、片手はリナの腰に回して支える。
「あたしみたいな、乱暴で聞き分けのない女なんかほんとは嫌なんでしょ!?」
 リナはぎりっと――涙目でガウリイを睨んだ。口は小さく呪文を唱えている。
「呪文はやめろって!」
「いやっ……!」
 その口を押さえるため、咄嗟にガウリイは覆いかぶさって唇を合わせた。
 目を見開いたリナが落ち着くまでそのまま抱きかかえ、やがて、間近に目を合わせてゆっくりと顔を離す。
「……お前さんと何年一緒にいると思ってるんだ。他を見る余裕なんて少しもないし、オレはなあ、昔からずっとお前さんしか見てないんだ」
「ガウリイ……」
 怒りか、恥ずかしさか。頬を真っ赤にしたリナに顔を再び近付けて、ガウリイは改めてキスをしようと――

「あのー」

「「……ああ?」」
 いいところで声を掛けられ、二人揃ってそちらの方を向くと。街の自警団らしき男たちが並んでいた。
「……へ?」
 ふとやぐらステージの周囲を見回せば、遠巻きに取り囲む人々がぽつぽつといる程度。呪文の余波か露店の残骸や瓦礫などがある。
「あはは……ちょっとやりすぎたかな……?」
 二人が地面に降り立った瞬間に、やぐらステージは轟音を立てて崩壊した。
「……詳しくは詰め所で聞かせてくれますか?」

 ***

 それ以来、この地方ではたわいない夫婦喧嘩に首を突っ込むことを『どらまたに蹴られて財産失う』と言うようになったそうな。
■ おわり ■


ガウリナの夫婦デスマッチがみたいなーと思って。
リナの結婚後の名前はリナ=インバース=ガブリエフだといいなあ。
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